巡063:おへんろ拾遺
例によって、書き漏れた路上ネタなどを拾ってみた。
4月5日。宿毛の一つ手前の東宿毛駅。前回泊まった米谷旅館の前に、早稲田大学ゆかりの小野梓記念公園があったが、駅の名前にも早稲田・梓駅の愛称が付けられていた。
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4月6日。松尾峠を下って一本松の町で、道のわきに石碑を見かけた。卒塔婆の板に、『為 まんのやお長霊位二百回忌追善』とあるので、地元ではそれなりのいわれがあるのだろうが、ググってみても不詳。
4月7日。四国を廻る間に、廃屋となった家をけっこう見かける。いただいた地元中学生作成の柏坂越え地図にも、「空き家Ⅰ、空き家Ⅱ」などと表示されている。
4月8日。宇和島の馬目木大師の近くに、佐伯橋という小さな橋がある。禁止令が出る直前、明治4年の最後の『無礼打ち』の現場であると。
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4月9日。宇和島城の天守そばのトイレに入った。仮設トイレのような外観だが、中は「バイオラックス」という、オガクズをかきまぜながら大小便を分解する設備だという。
4月10日。明石寺の山門で。札所のお寺は比較的潤っているかとは思うが、それでも寺を維持するには、営業努力も必須。巡拝ツアーの募集に、永代供養塔は宗旨宗派を問わず、と。
4月11日。内子の町を歩いていると、いろいろな説明板、解説板がある。これは、「内子の三もぐり」についての内子町教育委員会の説明板。潜水艦乗り、飛行機乗りに金鉱技師か。
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4月12日。鴇田峠への道に、お遍路通行止め、の看板。向こうから来たお遍路のオジサンが、「逆打ちで来たが、問題なく通れます。撤去するよう役所に電話したが埒が明かない。」と、自分で、看板の上に、『通れます』と書き加えていた。
NHKの報道は公式発表通りに、と言った、籾井某に似たような根性の役人が、ここかしこにはびこりすぎているなあ。
4月13日。大寶寺から河合に下りて、一軒だけ遍路宿の看板を残している家。「蜂印香竄葡萄酒(ハチジルシコーザンワイン)」の古いホーローの広告看板がかかっていた。
帰ってからググってみたら、かの神谷バーの創業者神谷傳兵衛が明治14年に売り出したものだという。へぇ~。
4月14日。三坂峠の手前の道路脇に砕石工場があって、そのダンプ出入り口の表示板に何か違和感が。入り口から敷地内に向かって、左←右へと書いたのだろうが、"THANK YOU"まではやりすぎ。(笑 反対側は普通に書かれていた。
4月15日。49番浄土寺のすぐ先、日尾八幡神社。この地方の神社では、入り口に二本の石柱の門を構えて、各二文字づつの四文字熟語を彫るものが多い。これは、「鳥舞魚躍」。他にも、「高山景行」、「徳馨岩蘭」等々、書く人は頭を捻ったんだろうなあ。
4月16日。一草庵の手前の護国神社。石鳥居の裏側の銘は。
帰ってからググったら、これは今の富国生命の前身の保険会社。「徴兵保険」というのは、息子を兵隊にとられる補償、というのではなく、徴兵検査で甲種合格したら保険金を受け取って、それを学資に下士官として勉学し、出世をはかるのだという。酔仙は寡聞にして知らなかったなぁ。日本でまた復活するのかしらねぇ。
4月17日。観音寺駅からすこし行ったあたりで、海上に小さな島と、橋、鳥居、神社が見えたが、すぐに通り過ぎてしまった。景色の良さそうな所なので、次々回にでも歩きの途中で立ち寄れたらうれしい。
5/17 追記。グーグルの地図でたどってみたらすぐ見つかった。津嶋神社というが、へんろ道からは少し離れているようだ。しかも、この橋や、JR津島ノ宮駅は、年に2日間、夏季大祭の時だけしか開かれない、とのことである。yoneさん好みのお祭りだろうなあ。
さて、これで今回の歩きお遍路の記事掲載も完了。またこれからもよろしくお付き合いのほどお願い申し上げます。
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