遊376:慈覚大師生誕の寺二題
慈覚大師円仁は、平安初期の比叡山3代目座主で天台宗中興の祖、「入唐求法巡礼行記」の著者として有名。その生誕地は説が分かれるが、出身の壬生氏の父方で生まれた、というのが栃木県下都賀郡壬生町大師町にある紫雲山壬生寺。母方で里帰り出産した、というのが栃木市岩舟町下津原にある高岡山高平寺とその別院の誕生寺。この二説が有力である。
誕生寺の方は一度だけ通りがかりに参拝したことがある。今日は一人ドライブの暇が出来たので、この二ヶ寺を半日ほどで回ってみようと、10時ごろに家を出た。カーナビに頼って北上、道路は空いていたので、1時間半ばかりで壬生町に着いた。思ったよりも古くて大きい街で、天平文化センターとか壬生城址などの案内標識もあるから、改めて再訪するのも良さそうだ。
壬生寺はそう大きな境内ではないが、中央の大銀杏の立ち姿がまず眼に入る。
本堂、朱塗りの大師堂、六地蔵堂、山門、鐘楼など。
一隅にはもちろん慈覚大師御産湯井が。今も水が流れている。
ご朱印をいただきたかったが、「コロナのためご朱印はお休み」の貼り紙。隣接の壬生寺保育園にも日曜日で人影が見えないのであきらめた。(T_T)
次は栃木市内から太平山や岩船山の下を走って高平寺まで。途中のコンビニで軽くサンドイッチの昼食。道路から一段高く、三毳山を背景にして朱塗りの山門、鐘楼の眺めがきれいだ。庫裡の背後には梵字池、不動堂なども。ここも、ご住職が外出中でご朱印はいただけず。本堂の中を覗くと葬儀の後のようだったから、仏事の後のお斎なんだろうな。
少し戻って別院の誕生寺は林の中にお堂と慈覚大師像などが落ち葉に埋もれていた。
弘法大師ではないから、持ち物は杖と巻物。
ここもやはり、柵と金網で囲われた「慈覚大師産湯の井」が。
そろそろ切り上げて帰途につく。この辺りからは大体知っている道筋で、3時頃に無事帰宅。
壬生町ももう少し見たいし、ご朱印も無いとなればなお欲しくなる。まあ、次の機会にでも。
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コメント
なかなか良さそうな街ですね。
京都にも壬生という地名があって壬生寺(律宗)があるようですが、何か関係があるのかなぁ。🤔
投稿: 太郎 | 2021年12月21日 (火) 21時34分
Wikiによると壬生氏の一族から色々と派生しているようです。
円仁をバックアップして渡唐や天台座主にまでするには、実家の壬生氏も相当な権力、財力を有していたのでしょう。上野、下野は毛野の国にまで遡って、古代関東では最も早く開けた地域でした。
投稿: 埼玉の酔仙 | 2021年12月22日 (水) 00時25分
壬生氏つながりでしたか。
天台座主までのぼりつめたのですから、超秀才だったのでしょう。
それで生誕の地という寺が2つも建立されて今に至っているのはすごいことですねぇ。
注意深く興味を持って観ると郷土の歴史は古くてとても豊かですね。
有難うございました。
投稿: 太郎 | 2021年12月22日 (水) 15時55分
古い寺、神社はその土地に根ざしたものなので、調べていくと色々な歴史が見えてきます。
古墳や城跡も結構な数が残っていますが、そちらは今の人々の生活の場ではないので、寺社とはまた違った趣きです。最近は整備復元された所も多いので、ヤブコギせずに楽に見て回れるのがありがたいです。
故上田正昭先生が、"私の目の黒いうちに伝天皇陵古墳の発掘を"と言ってましたが、実現するのはいつになるんでしょうかね。
投稿: 埼玉の酔仙 | 2021年12月22日 (水) 17時42分