雑865:八月尽
今日で八月も終わり。蒸し暑い曇り空で夕方から雨。
酔仙家の庭の百日紅は遅咲きなので、夏の花の最後を飾って今が見頃。
9月1日再開を予定していたパソコンサークルは、コロナ第5波が収まらないので、休講をもう一ヶ月延長。酔仙のごろ寝暮らしも続きそう。
今日で八月も終わり。蒸し暑い曇り空で夕方から雨。
酔仙家の庭の百日紅は遅咲きなので、夏の花の最後を飾って今が見頃。
9月1日再開を予定していたパソコンサークルは、コロナ第5波が収まらないので、休講をもう一ヶ月延長。酔仙のごろ寝暮らしも続きそう。
酔仙は自分では短歌俳句は詠まないが、日曜日の朝日歌壇俳壇は、いろいろと一人批評、一人ツッコミをしながら、毎週読み込んでいる。今日の歌壇俳壇はけっこうツッコミどころが多かった。
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高野公彦選から。
・うちにきてよかったやろと語りかけ(た)犬逝きて知るよかったのは我(秋山行信)
・家中で最も長く海外に在りしは亡き父 捕虜としてなり(藤田好子)
永田和宏選から。今の社会性と情動を伝える2首。
・「オリンピック観るくらいなら眠りたい」現場の激務を語る看護士(篠原俊則)
・オリンピック一切観ないと前みつめ医師は重たき声で言い切る(浅利早苗)
同選。戦争の中で、酷薄な軍隊の中でのイジメ。酔仙も映画で見た記憶が。今の人には解説が必要か。
・「蝉やれ」と柱にすがる二等兵花菱アチャコの皺くちゃの顔(原鉄也)
馬場あき子選。酔仙ひいきの梨子ちゃんも一皮むけてきた進境。
・今までとちがう自分になりたくて選んだ傘はラベンダー色(松田梨子)
同選。自分以外なら、人にも犬にもユダヤ人にも〇〇にも、すべての生き物に酷薄になる人間とは何か。
・殺処分待つ母犬が最後まで子犬に乳を与へてをりぬ(野田孝夫)
長谷川櫂。二通りに読める。"おお鳴いているわなあ(男)"か、"あら鳴いているわねえ(女)"か。
・蜩が鳴いてゐるわとゆく銭湯(浅賀信太郎)
大串章選。評「改めて命の大切さを」というよりも、「残り少ない命にしがみつく我が身」では。
・接種終へ命惜しむや蝉時雨(細野八重子)
高山れおな選。選者が、の>と、改定。酔仙なら ”勝て勝て果ての敗戦忌” でもよいかと.
・オリンピック勝て勝て勝てと敗戦忌(軽部玖美子)
稲畑汀子選。作者、選者とも、”白花の底に紅の太陽を沈めたような” 白一重底紅の宗旦木槿を詠んだものだろうが、酔仙は敢えて、”その底に太陽よ沈め花木槿 ”と、命令形に読みかえてみた。さてどちらが訴えるか?
・その底に太陽沈め花木槿(玉手のり子)
酔仙的には、山頭火などの自由律俳句が好きなのだが、やってみてやっぱりあれは難しい。定型と季語が無いからと、勝手に歩き出すと、ドボッと先人の跡にはまり込む。(T_T)
・つばきの花踏んでこの道をまた
・山道をくだって五輪塔傾ぶいている
八月は、猛暑>長雨>猛暑 と過酷な天気が続いて、ウォーキングに出かける元気も無くなる。もっぱら家の中にこもって、エアコンとネット依存症の状態が続いている。エアコンもネットも無かった時代は、どうやって夏を過ごしていたんだっけかな?
合間に、溜まっていた出版社PR雑誌の追い付き読書も少し進んだ。新潮社の「波」9月号の表紙(絵 杉浦非水)を見て、えっとどこかで見た絵柄だな・・・・・・
ちょっとググってみたら、1927年(昭和2年)の暮れ、上野~浅草間2.2kmに日本最初の地下鉄が開通した時の、当時のポスターをそのまんま持ってきたものだった。
本文中で、新刊発売の『地中の星(門井慶喜)』~地下鉄が拓いた昭和という大衆の時代/創業者 早川徳次~を取り上げているから、まあそのまんまでもいいか。それにしても、今見ても古さを感じないポスターのデザインの良さに感心した。
昔々、杉並の社宅に住んでいた頃に買った掛け時計。以来30数年間ずっと働いてきたのだが、とうとう動かなくなった。
当時既に乾電池のクオーツ時計だったのだが、今取り外して良く見ると、ゼンマイ式の時代のネジ巻穴を模したマークが描かれているのに気が付いて、へえ~。
ジョイフル本田で新しい掛け時計を買ってきた。昔とほとんど同じデザインだが、これは電波時計なので、時刻合わせの手間は不要。下の穴は、電波受信中の標示ランプ。
数字のデジタル表示よりも、文字盤と針のアナログ表示のほうが、直観的に読み取れるのでうれしい。そういえば、今の若い人は、ダイヤル式の電話機というのは見たこともないらしい。
ペルセウス座流星群が8月13日未明4時ごろに極大となり、8年に一度の規模の流れ星が見られるとの予報。一分に一個ぐらいというから、願い事も叶え放題。徹夜で見るか、早起きしてみるか、と迷っていた。
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でも、昨12日の午後から埼玉はずっと雨の降りっぱなし。西日本では大雨特別警報や避難指示も。あきらめて熟睡。
まあ、雨のおかげで涼しくなったから、家でゆっくり過ごすか。というか、毎日と変わらない生活。
やっと五厘が終わった。政りごとをお祭りごとで誤魔化す異常な日々が終わって、平常に復帰した、と言えるのかどうか?
酔仙は事前の宣言通り、五厘TV番組は一切見ずにこの期間を過ごした、と自画自賛しておく。始まる前にはなんだかんだと批判していても、いざ始まったらテレビの前にかじりついて、ニッポンチャチャチャ、なんて流されていたのでは、AB>SGに舐められるだけである。
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五厘とコロナの陰に霞んでしまったのだが、「八月や 六日 九日 十五日」の季節でもある。敗戦を終戦と言い替えている間は、この国はずっと被占領国民を続けるしかないのだろうか。
春に卵から孵化したヒメダカがかなり大きくなったので、掬いだして親メダカと同じ外の水鉢に移した。全部で13~4匹。
春に孵化した時は針仔が40匹ほどもいたのだが、後の2/3はどうなってしまったのか? 去年もそうだったなあ。ネットでググってみると、2~3匹の大きめの個体が餌を独り占めして、追い払われたのは餓死したりして減ってしまう、のだと。(T_T)
水面積が十分広ければ沢山育つそうだが、そんな場所は無いしなあ。夏仔、秋仔用には、プラ板で水面を仕切ってやればうまく育つかもしれない。物は試し。
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