路314:墓碑面を読む
酔仙のウォーキング途中には、小さなお寺の墓地や、農家に隣接した一族だけの墓地などがけっこう多い。歩きながらふと見ると、戦没者の碑銘などもよく眼につく。これは日清戦争の戦死者。「膺懲征清之大詔下矣~~明治二十七年十二月七日也、享年二十三、嗚呼悲哉~~」云々と。
これは太平洋戦争末期。「昭和二十年六月六日西部ニューギニヤマノクワリに於いて戦死~~二十四才」。おそらく、密林の中を転進(敗走)、餓死した2万の兵の内の一人だろうか。
戦後73年を過ぎて、ここまでは(米帝への戦争後方支援は別として)戦争に巻き込まれてこなかった日本人。しかし、亡国ABが米帝盲従のもと再び日本国軍を戦争に投入する日は近いと、酔仙は予言する。
山河亡国、南無阿弥陀仏 (-人-)
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コメント
Manokwari(マノクワリ)は、西パプア特別州
の州都なんですね。
私がスマトラに駐在していた頃にはイリアン
ジャヤ州と呼ばれていたパプア特別州から、
2003年に分離されています。
第二次世界大戦の折には、大日本帝国海軍の艦船が多く寄港したようです。
投稿: yonex | 2019年3月25日 (月) 06時05分
太平洋戦争末期には、「戦死」と言いながらも
餓死、病死が大半だったのですから、悲惨な
ものです。マッカーサーと昭和天皇の密約で、
戦争責任を徹底追及しなかったのが、今日の
従米と逆行の根っこになっている、と酔仙は
思います。
昭和天皇が亡くなった時、酔仙のオヤジは
「戦争責任も取らないまま、畳の上で往生して
いいものか」と言ってましたが。
投稿: 埼玉の酔仙 | 2019年3月25日 (月) 12時33分