巡055:内子から大瀬へ
4月11日。宿を発って、国道沿いにずっと行く。黒内坊からは、山あいの道を抜けて内子の町へ。登校途中の子供たちが元気。
内子運動公園を経て、思案堂の御堂の前の花がきれい。
内子の町に下って、現役の芝居小屋である、内子座を外から見る。昔と今がつながる雰囲気。もう少し時間があれば、小屋の中も見ておけばよかった。
内子六日市には古い商店、建物がきれいに保存されて、街並みが続いている。
内子の町を出ると小田川沿いに、山あいと人家とを抜けながら延々と歩き続ける。腰痛がちょっと不調。大瀬の村の休憩所二ヶ所は、昔ながらの辻堂を模したものか。途中の梨園はちょうど花盛り。
長岡山トンネルを抜けたところに、珍しく、お遍路無料宿が。野宿のお遍路は嫌われるのだが、ゆったりと畳に布団も備えられている。貼り紙などを読むと、〇長の家の信者のおばあちゃんの提供らしい。ありがたく、昼食を兼ねてゆっくり休ませていただく。
途中に曽我十郎の首塚云々の標識。曽我十郎神社の祭りの写真を掲げた休憩所も。なぜ四国に曽我十郎か?不詳。
3時半、民宿「来楽苦」に到着。”ライラック”ではなく、”きらく”だった。(笑
気さくで話し好きなご主人。隣りの自家製豆腐とお酒の店を息子さんに任せている、とのことで、夕食は豆腐料理。
「今晩は村の寄合いで出かけるから、勝手に食べて飲んで、飲んだ分は明朝自己申告してね」と。同宿のT山さんといっしょに、お酒も進み、楽しい一夜。
はて最後のあたりはちょっと記憶が無いのだが、なんとか無事に寝込んだようだ。
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コメント
内子では、「木蝋資料館 上芳我邸」を見学した事があります。
「内子座」も見たように思います。
投稿: yone | 2016年4月24日 (日) 23時19分
本日夕刻、貴州省から戻りました。
主に少数民族について、これから書いて行きたいと思います。
投稿: yone | 2016年4月24日 (日) 23時21分
四国の山間部は、山は緩やかですが耕地は
少ないので、江戸時代には木蝋や和紙などの
地場産業育成に努めたのでしょうね。
内子の町はまだがんばっているほうですが、
旧街道沿いの町の多くは、さびれたところが
多いです。次の大震災が来るまでは、東京の
一極集中は止まらないでしょう。阪神、三陸、
熊本と、神様は警告していらっしゃるのですが。
今回は中国南部でしたか。山紫水明の観光地も
いいですが、少数民族のありかたなども興味
深い所です。
投稿: 埼玉の酔仙 | 2016年4月25日 (月) 11時10分