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2016年4月21日 (木)

巡052:満願寺、野井坂を経て宇和島へ

4月8日。津島の三好旅館を発つ。津島の岩松川左岸側は、大きな寺もあり、古寂びた街道のままである。戦後、獅子文六の小説「てんやわんや」の舞台になった町なので、「文六餅」などの看板も。若い人は知らないだろうなぁ。

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川沿いに1時間ばかりで満願寺。昨夜同宿の人の話では、さして見るほどの物はない、とのことだったが、門前に着くと、今日はお釈迦さまの花祭りの日とのことで、花で飾られた灌頂仏にお参りして、甘茶を頂く。おばあちゃん達やご住職ともお話しできた。境内もきれいで、落ち着いたいいお寺である。立ち寄って良かった。

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野井坂越えはお遍路のサブコースで、ずっと人にも会わず、深い落ち葉の山道を登って下るが、道ははっきりしている。途中にはいくつか炭焼き窯の跡も。

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山道を下りると松尾トンネルの出口。少し旧道を歩いてから、賑やかな国道56号線に出る。コンビニ弁当で遅い昼食。だんだんと宇和島の市内に入ってくる。馬目木大師は、人家の裏手に隠れた小さなお堂。佐伯橋は、明治最後の無礼打ちがあったところだとか。

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せっかく宇和島まで来たのだからと、藩主の御庭だった天赦園を訪ねる。さほど大きくはないが、芝生に池泉を備え、特に池をまたいで反り橋のように架けられた白藤の棚が満開で見事だった。

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もうひとつがんばって、伊達博物館へ。「幕末には薩長側についたから、本家の仙台伊達家とは対立したのでしょうね?」と尋ねたが、「まあ、家としては別々ですから」とかわされた。10万石の藩だけに、ひな祭りの展示など、さすがに立派なものが多い。ただ、生首の旗印は、ちょっと悪趣味かも。博物館の前には、幕末~明治初期の8代目伊達宗城の銅像。

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博物館の辻向かいは、県立宇和島東高校で、今日が入学式のようだ。外柵には、実績をあげた部活動や個人名の看板がずらりと並んでいるのが奇異である。創立120周年の名門か。

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4時過ぎ、宇和島市役所向かいの民宿奴(やっこ)に到着。畳の部屋で、風呂にもゆっくり入れるのが良いが、予約が遅かったため、夕食の仕込に間に合わず、素泊まりとなった。

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夕食は、教えてもらった近所の「ぼん平」へ。おかずは、一品づつ気に入ったものを棚から指定して食べられる。4皿にご飯味噌汁、お酒、焼酎も頼んで、2千何百円とお値打の値段で、おいしく満腹にいただいた。店もきれいで、活気がある。こういう、大当たりの店に出会えるとうれしい。

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  ・花まつりに出会って 甘茶いただく

  ・落ち葉の向こうは もう空だけの峠道

  ・落ち葉の中に これも炭焼きがまのあと

  ・声かけて おいしいお水いただいて

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コメント

宇和島については、観残している「牛鬼」が気になってます。
宇和島伊達が移入した「六鹿踊り」も序でにと思ってます。

投稿: yone | 2016年4月26日 (火) 00時28分

そういえば、宇和島のマンホールの図柄は
牛鬼と闘牛でした。

宇和島伊達藩は、幕末期に藩内の争いが無く
また勝ち組についたことから、明治期には
色々と人材を輩出しています。

祭り見物の間に時間がとれれば、宇和島城と
天赦園、伊達博物館もご一見を。そう大きくは
ない城下町ですから。

投稿: 埼玉の酔仙 | 2016年4月26日 (火) 20時27分

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