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2015年11月11日 (水)

巡045:10月31日、39番延光寺、宿毛(すくも)へ

7時過ぎに、くろうさぎを出立。下ノ加江川に沿って細長い三原村は、中心部分を通り抜けるにもそれなりに時間がかかる。嫗瀧権現と猫の爪跡石などを見て、天満宮(島の宮)のきれいなトイレを借用。

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村役場、駐在所、農業構造改善センターなどの集まっているあたりがほぼ中心部。ちょっと北のはずれの十字路のあたりが、下ノ加江川と清水川との分水嶺になるのか、道はいつのまにか下り道に。こういうあいまいな分水嶺というのも珍しい。

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三原村から宿毛市平田に入ると、急な山あいの下り道の先に、トンネル、橋が続き、中筋川ダム。水面からも結構な高さなので、高所恐怖症気味の酔仙は、道路の端を避け、たまに走ってくる車を避けながら下ってゆく。

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一休みした路傍に小さな石仏があり、昭和17年に亡くなったとの銘。ダムの着工1982年、竣工1998年だから、それよりもずっと昔の戦前に、川筋のどこかに立てられていた石仏を移してきたものだろうか。

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山あいを抜けると平田の町に出る。高架の土佐くろしお鉄道、平田駅で一休み。鶏頭の赤が鮮やかだ。

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田んぼ道の石仏も遍路笠をかぶっている。39番延光寺は近い。

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12時ちょうど、39番延光寺に到着。まずは参拝を済ませて、納経。パンの昼食。

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追々、他のお遍路さんのグループなどの参拝で、紅葉のきれいになってきている境内も賑わう。

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山門を入ったところに、釣鐘を背負ったカメさんの石像。赤亀山延光寺の山号の由来で云々、との説明。

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なるほど、ご朱印にも亀と釣鐘が。

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今日の宿の宿毛の 米谷 米屋旅館へは後6キロほど。河口近く、宿毛大橋を渡って市内に入る。
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3時前に 米谷 米屋旅館に入る。旅館の通り向かいに、早稲田大学を大隈重信とともに創立したという、小野梓の生家の記念公園が。申し訳ないが、存じませんでした。

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今回の区切り打ちは、ここ宿毛で打ち止め、ということにしたので、明日の帰りの切符を買いに、一駅先の土佐くろしお鉄道宿毛駅まで。じぱんぐ倶楽部の手帳を宿のリュックに置き忘れたので、旅館と駅の間を二往復。旅館の自転車を借りられたので助かった。

ターミナル駅なのに、営業窓口は時間制。つまり、一時間一本ほどの電車が発着する時間帯だけ窓口が開く。自転車で通った街の中も、ほとんどシャッター商店街状態で、寂れた町、という印象である。

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それでも、切符は、JRとデータリンクしているようで、一人だけの駅員のお姉さんがてきぱきと発券してくれた。

 

同宿は、工事関係らしいお兄さんたちが二、三人。まあ、古い町のそれなりの旅館といえる。

  ・この駅もさびれて 街はシャッターばかり

   ・鐘負ふたまま じっと亀がいる

   ・森亀之丞死亡地昭和十七年七月廿三日と石仏が

   ・椿姫失せたままに猫の爪跡石

   ・へんろ小屋で語る コーヒーいただく

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コメント

お疲れさんでした
結構のんびりと楽しんでいるようですね
懐かしい風景写真で楽しませていただきました
ありがとうございました

結願すると
しばらくすると
また歩いてみたくなる
そんな
気がだんだんしてきませんか

投稿: 房州や | 2015年11月12日 (木) 14時33分

腰痛と付き合いながら、一日20キロをめどに
ゆっくり歩いてます。その分、わき目、そば目、
ネタ探しに余裕ができたようです。自分の脚で
歩いたところは、一度通っただけなのに、帰りの
車窓から見て懐かしく感じるのが不思議です。

まだ全体の半分弱なので、取りあえずは、先へ
つなぐことが第一。でも、区切り打ちから帰って
くると、すぐ次の区切りを歩きたくなるのは
やはり、お四国病の初期症状でしょう。

投稿: 埼玉の酔仙 | 2015年11月12日 (木) 17時59分

小野梓の名前は聞いた事がある様な...

投稿: yone | 2015年11月13日 (金) 22時20分

明治初期に活躍したのですが、33歳で
亡くなっています。昔の人は、若いうちに
活躍して夭逝している人が多いです。
我々は馬齢を重ねるのみか。

宿毛は、吉田茂ほか沢山の人材を輩出して
いますが、今の街の寂れぶりからはちょっと
想像できないです。四国の町や村を歩いて
いると、”地方創生”どころか、既に衰退の
ターニングポイントを過ぎてしまっている
というのが実感です。東京五厘などという
あほなイベントはさっさと止めて、ただちに
首都機能と人口を分散して、来るべき第二次
関東大震災に備えるべきだというのが、酔仙の
持論なんですが。

投稿: 埼玉の酔仙 | 2015年11月13日 (金) 23時00分

どうも長宗我部系のような気がしますな。

投稿: yone | 2015年11月14日 (土) 00時47分

小野梓、ちょっとググってみました。
宿毛の河口の大島が江戸初期に開墾されて
貝塚から移住し、以後、代々小野氏が庄屋を
務めて、一族から、小野梓など多くの人材を
輩出して云々、とあります。

高知は、長宗我部、一領具足の地元系と
山内一豊などの近江系との確執が複雑な
歴史を構成して、今に尾を引いているよう
です。もう少し、地元の人に突っ込んだ話を
聴けば良かったかな。

投稿: 埼玉の酔仙 | 2015年11月14日 (土) 22時34分

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