巡042:10月28日、38番金剛福寺
7時少し過ぎ、おかみさんに見送られて出立、今日は岩本寺から4日かけての、足摺岬の金剛福寺をめざす。健脚の人は、宿に荷物を預けて、40キロを往復する 往復40キロを歩く というのだが、酔仙は手堅く20キロをめざす。ここまでくれば、土佐清水市の椿の市章が目立つ。椿と足摺岬が市のシンボルである。
以布利の港町で、以布利区長場の看板に年季が入っている。
以布利港では、網のブイの準備に、2、30人の漁師さんたちが集まっている。漁業というのはこういう共同作業で成り立っているのだな、と実感する。
道のわきに、「幡多郡上灘村役場之趾」の石碑。しかし、まわりは自然の野に還りつつある屋敷跡が目立つ。高知では、海岸の漁村と、台地上の農村とが住み分けて、二つの文化圏を構成しているのを感じる。
足摺岬まであと2キロ、旧道を挟む祠と3本の大きな樹との間でアンパンの昼食。祠の後ろには古代を偲ばせる巨石が鎮まっている。
足摺岬まで0.5キロ。椿の森が頭上を覆う。
寺の手前でちょっと寄り道して、遊歩道の先に天狗の鼻を眺める。
13:20、足摺岬 金剛福寺に着く。道路のすぐそばである。
ともあれ、本堂、大師堂に参拝。境内はそれなりの広さだが、亀石やら石塔やら、やたら石が多い感じ。ご住職の趣味もあるのか、隣の庫裏の方は、外目にもかなりの庭石や奇石が乱立しているような。境内には熊野三所権現の立派なお宮もある。
少し先には白皇(しらおう)神社。鳥居には「白山神社」とあるが、本殿の扁額には「白皇山」と。地図上でもかなり混交している。帰ってから少しググってみたが、「白皇」と「白山」の関係はややこしそうだ。
町のはずれまでぶらぶらと見て歩いていって、14:40今日の民宿田村に到着。まずは足摺岬まで到着したことに祝杯。洗濯などして、ゆっくりとする。
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コメント
何となく、半分近くに来たと言う感じですな。
足摺岬の金剛福寺は、お参りしたという記憶
が微かにあります。
投稿: yone | 2015年11月 7日 (土) 21時08分
足摺岬は有名な観光地でもあるので、お遍路さん
観光客が入り混じってました。もちろん、中国人
観光客らしいグループも。岬全体は、椿などの
照葉樹林でこんもりした眺めです。
ああいう、庭石、石仏、石塔いっぱいの景観は
中国趣味なんでしょうか。
投稿: 埼玉の酔仙 | 2015年11月 8日 (日) 08時56分
どうも、お疲れ様でした。
膝、腰の調子はどうですか?
40K往復で、80ですか??
ありえない・・・
投稿: k2 | 2015年11月 9日 (月) 23時27分
いやいや、20キロの道を往復して40キロです。
ちょっと、表現を修正しておきます。
酔仙は、学生時代に京都→奈良40キロという
コースを3度歩きましたが、まあ、限界でした。
「長征」を読んでいたら、一昼夜で100キロの
行軍などというのもありましたがねえ。
生きるか死ぬかというときならともかく、普通に
ゆっくりお遍路するなら毎日20キロ、健脚の
人で30キロ、というところでしょうか。
投稿: 埼玉の酔仙 | 2015年11月10日 (火) 11時10分