巡015:8番熊谷寺から11番藤井寺まで
3月22日(土)。朝のうち少し風が寒かったが、好天で歩きやすい一日。途中に三木武夫銅像のある小公園などを過ぎて、8時過ぎに8番熊谷寺(くまだにじ)。参道の濃い桃色の桜並木が既に満開。
古いが大ぶりの山門には満開の白木蓮が咲きかかる。
駐車場の上の多宝塔が良い姿である。
田畑の中の道をゆるく下って行って、9番法輪寺(ほうりんじ)はこぢんまりとした寺。門前に行乞の人が日焼けした顔でモゴモゴと何やら唱えていた。
田畑や在所の中を通り抜けていって、10番切幡寺(きりはたじ)の入り口。細い通り沿いに民宿や表具店が何軒か店を構える。
店仕舞いした表具屋の古い看板。帰宅後にググってみたが、この相撲取りの「黒雲」は、江戸時代の黒雲丈左衛門ではなくて、明治時代中期の黒雲雷五郎だろうな。
ここから山門までは、さらに登り道と333段の石段。
やっと登りきったところの頭上に立つ切幡寺大塔。 初層5間四方、二層3間四方の堂々たる姿と均斉の美しさは、今回の遍路の間に見た諸塔のうちで白眉である。豊臣秀頼建立の住吉神宮寺から、明治に移築したと。足元から何度も見上げて感心した。
山の中腹なので、眼下には、四国三郎の吉野川の流れが光る。
昼食は、途中で知り合った遍路のおじさんと、寺の近くの看板を目当てに、「八幡」でうどん唐揚げ定食。
切幡寺からゆるく下って行って、吉野川の堤防を越す。
対岸と思ったのは、実はだだっ広い中洲だという。どうりで、田畑はあるのに人家は無く、送電線の鉄塔も足元はコンクリート柱で出水に備えているわけだ。
二つ目の長い沈下橋を渡ってやっと阿波市から吉野川市に入る。川の水はずいぶんきれいである。(↓クリックしてパノラマ写真を)
川船が並ぶ堤防の上のお遍路休息所で出会ったSさんと、しばらくお話など。
川島の街を抜け、今日最後の11番藤井寺(ふじいでら)。
今日の宿は、昨日泊まった「いしだ」の紹介で「やまさ」。Sさんも同宿するというので、寺の門前まで宿のご主人に車で迎えに来てもらう。焼肉、ラーメンなどの店もやっていて、なんだか混然とした感じ。そこで鍋の夕食。
部屋や、風呂、トイレなど、飯場風というかバラック風というか・・・・。後で聞いたところでは、すべてご主人の手造りなのだとのことで、納得した。
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コメント
いや~いい天気ですね。
すでにいい出会いもあったようで、たぶんもうお四国病に罹っていると思われます(笑)
続編、楽しみですね。
投稿: vagabond-k | 2014年3月30日 (日) 23時29分
地図と日記とデジカメの写真をみながら
続編を編集中です。これだけ次々にお寺を
巡っていくと、記憶だけでは混乱して
しまいます。タブレットなんかで、道中
日記を兼ねてアップするという手もある
かもしれませんが、それでは旅の放浪感が
薄れるし、帰宅してから思い出を反芻する
楽しみも大切にしたいものです。
お遍路は二度おいしい。
次回もこのペースでお遍路を続けられたら
うれしいです。
投稿: 埼玉の酔仙 | 2014年3月31日 (月) 10時34分
近鉄バッファローズの本拠地「藤井寺球場」があった、大阪府藤井寺市の「葛井寺
(ふじいでら)」は、山号が「紫雲山
(しうんざん)」です。
運動をしていると、炭水化物も必要ですが
、筋肉を強化するためには、良質の蛋白質
の補給が大切です。
もう少し野菜があればなお好いですが、
まあまあバランスのとれた食事です。
調べてみると、黒雲雷五郎は熊本県の
出身とありますが、どういう関係かな?
投稿: yone | 2014年3月31日 (月) 15時34分
そもそも、表具屋さんの宣伝看板が、なぜ
お相撲さんなのかがよくわかりません。
単に、当時の店主が黒雲関の谷町だった
というだけかも知れませんが。
他にも、寺の門前で表具店を何度か見かけ
ましたが、普通は、お遍路を終わって
帰宅してから御朱印などの表具を依頼する
ものでしょうから、なぜ途中の寺で表具屋が
成り立つのかもよくわかりません。
投稿: 埼玉の酔仙 | 2014年3月31日 (月) 20時34分