路148:踏切のそばに石碑が
JR宇都宮線を越えて鷲宮町へ行く踏切からちょっと離れたところを通りかかったら、線路際にかなり大きな石碑があった。「石塚敏雄之碑」とある。
気にかかったので、裏面を読んでみると、「昭和7年に自動車の踏切事故で敏雄・榮治の2人が惨死、その後事故が相次ぐのでこの碑を建てた、昭和10年権現堂川村石塚祥云々」とある。やはり、地縛霊の除霊のためなんだろうな。でも、「運転手 榮治」は碑の表では触れられていないし、昭和初期に(多分)自家用車をもっていたというのはどういう家だったのだろうか、などと余分なことも考えてしまった。
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コメント
サンデー毎日の酔仙さんが羨ましいです!
プロフォットジャーナリストとしますます
腕に磨きがかかってきたようです。
投稿: お茶の水博士 | 2009年7月18日 (土) 22時09分
お茶の水博士からのひさしぶりのカキコミありがとうございます。石になって残っているものは、碑でも印でも、いろいろな想いを呼び起こすものです。
投稿: 埼玉の酔仙 | 2009年7月21日 (火) 13時20分