2018年6月 8日 (金)

本180:マンガ本売払いの結果ご報告

今回の本棚整理は、マンガ本に絞って在庫一掃としたので、記録の為にも結果ご報告を。

冊数は数えていないが、台車2台分で、けっこうな重さである。我ながらよく溜めたものだ。

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久喜のブック・オフへ10時開店に持ち込み、査定に預けて2時間ほど。近所のスーパーで買い物など済ませて、戻ってきて、さて結果は。

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予想したよりも歩留まりは良かった。132点で¥12,100。ピンは「宗像教授異考録・限定版(15)」で¥400。キリは¥5がゾロゾロ。店員さんによれば、本の希少性どうこうよりも、日焼け、折れ、傷みなどの外見がまず査定の壁なのだと。

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若干ながら臨時収入はうれしいが、これらがまた誰かに読んでもらえれば、なおうれしい。とはいえ、この何倍かは、そのまま処分にまわされてしまった。

南無 (-人-)

K日向一箱古本市」のように、自分で手渡しで誰かに売れるのが理想なのだが、2年で立ち消えしてしまったしなあ。

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2018年5月18日 (金)

本179:「ミネルヴァの旗を立てよ」が最終回

KADOKAWAの月刊「本の旅人」で連載されていた、『ミネルヴァの旗を立てよ―宰相・岸信介』が、5月号で最終回となった。

(↓クリックして拡大)

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かの岸信介の評伝であるが、当然、、その政治思想、経歴への全面的賛同を前提にしたものであるから、酔仙などは、突っ込みどころ満載の反面教師として、近現代史の資料として、それなりに読んできた。多分、(AB政権が続いていれば)ヨイショ本として単行本化されるのだろうなぁ。(>_<)

戦前戦後の日本の近現代史を学習していない、今時の若い連中がこんな本を読んだら、簡単に洗脳、追従させられてしまうだろうな、と心配する。(>_<)

とはいえ、岸自身の「自主」憲法制定への執念は。それなりに一貫した政治思想ではある。戦前の大日本帝国の理念は正しいものであり、武運つたなく鬼畜米帝に敗戦したために押し付けられた「平和」憲法を廃棄して米帝の占領を排し、もう一度大東亜共栄圏の盟主をめざす、というものである。反面教師としてだが。

さて、売り家と書く三代目のABだが。「自主」憲法制定の看板はそのまま、自発的隷従との自覚も無く、米帝の世界侵出の先兵として日本人民を海外派兵の売りに出す。ジイサンがこのザマを見たらさぞかし嘆くだろうなあ。

ちなみに酔仙自身は、妄想的極左国際民族主義である。『護憲』論は当面の国内戦略としては有効としても、長期的には改憲論である。

”憲法改正、天皇制廃止(皇族の人権救済)、米帝占領軍基地撤廃、武装中立、国民皆兵、米中二股外交、国旗は白日紅旗、国歌はインタナショナル、日本民主主義人民共和国労農政府樹立万歳、ついでに自民党の非合法化”を標榜しているのだがなぁ。(笑(笑

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2017年9月18日 (月)

本178:句歌歳時記(山本健吉)

入院中に、「折々のうた」「新折々のうた」(大岡信)を読了したのだが、「句歌歳時記(山本健吉)」4冊は半分ほどしか読めなかった。「週刊新潮」に30年間書きつづけてきたものをまとめたのだが、俳句・短歌を主に解説を添えて、ページごとに4編がぎっしり。退院後に少しづつ読み継いで、今日やっと読了。

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刊行が昭和61年、そのまえに30年間があるわけだから、内容的には少し古いか。というよりも、とくに短歌については、ここ20年、30年の変化がかなり激しいといえる。やはり、「サラダ記念日」あたりからだろうか。毎週の朝日俳壇・歌壇を興味深く読んでいる。

酔仙としては、自由律俳句にも復活してほしいのだが、あれは形式に依れない分だけ才能が要るから難しいだろうなあ。

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2017年8月28日 (月)

本177:折々のうた(大岡信)

一ヶ月近い入院の間、手術後の麻酔が切れて痛みで寝られない2,3日を除けば、後は三食とリハビリと寝るだけで、時間を持て余すことになる。予め持ち込んでおいたのが、岩波新書の「折々のうた」10冊。途中で次男に頼んで、Amazonで「新折々のうた」9冊も揃えてもらった。

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故大岡信氏が、朝日新聞朝刊に毎日コラム掲載していたのを、一年分一冊づつにまとめたものである。8/25の退院の朝までかかって、ちょうど全冊を読み終った。

新聞掲載中や、本を買ったときに一応は読んでいるはずなのだが、なんと、ほとんどを忘れてしまっていた。まあ、新鮮な感覚で読むことができたと、前向きに考えよう。(^_^;)

古代から現代まで、和歌、短歌、俳諧、俳句を主に、周辺の歌謡まで手広く取り上げた労作である。欲を言えば、もっと広範に、能狂言、浄瑠璃、小唄、歌謡曲等々まで広げてもらうと面白いのだが、それにはあらためて何人かの有識者を糾合した場を作りなおす必要があるだろう。受験勉強ではなく、日本の韻文の歴史を横断的に見直して楽しむ機会はやはり有効である。

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2017年5月10日 (水)

本176:筒井康隆御大の恐育勅語

筒井康隆御大のブログ、「笑犬楼大通り」に行ってみたら、昭和48年の「狂気の沙汰も金次第」での教育勅語のパロディが再録されていた。44年前に既に今日の状況を予言していたとすれば、まさに天才である。

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AB、稲田、アッキー、籠池等々の「狂育勅語」に対抗するには、これぐらいの迫力がなければなあ。

「きょういく」をWord変換してみたら、色々と出てきた。意味を深読みするのも面白いか。

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2017年3月30日 (木)

本175:漱石「猫」の連載が完結。復活シリーズも終了。

朝日新聞連載の、漱石の「吾輩は猫である」が完結した。連載224回にガイド、解説編を含めると、切抜きもかなりの暑さになった。

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2014年4月に始まった漱石の新聞小説の復活連載も、「こころ、三四郎、それから、門、夢十夜」、そして今回の「猫」の完結をもって3年間のシリーズ終了となった。

漱石は、酔仙も若い頃に一通りは読んだのだが、歳と共に細部の記憶も薄れていたので、あらためて読み直すと、新鮮な印象をうけた。また、単行本として一度に読み流してしまうのと、新聞小説として毎日少しづつ進展を追うのとでは感じ方がかなり違うものだというのも実感した。

さて、6編すべて、切抜きとJPGスキャンとで保存はしたが、どこか再活用する所はなかろうか。

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2017年1月30日 (月)

本174:FAKEな平成史(本の旅人:森達也)

今、酔仙は、出版社の月刊PR誌7誌を取っているのだが、角川の「本の旅人」2月号から、森達也氏の「FAKEな平成史」の連載が始まったのに目がとまった。

酔仙が最近の森達也氏に注目しているのは、現今の、ABやTrump、Pak、Kim、Putin等々でてんやわんやとなりつつある世界に対して、人の業の根源にまで掘りこんで追及する切り口である。冒頭、ピーター・バラカン氏へのインタビューから始まって、連載初回で21ページと、カドカワもかなり入れ込んでいるようだ。

(↓クリックして拡大)

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取りあえず、読んだ後はスキャンして保存。上記標題ページのような諸々のテーマが刺激的で、今後の展開が楽しみである。

ならば読んでみようか、と思われる方は、下記に「本の旅人」のご注文を。面倒な方は、酔仙あてにメールいただければ、スキャンしたデータを配信いたします。まあ、連載完了した後で単行本になるかもしれないが、その頃には今の社会状況が維持されている保証はないかも。

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2016年9月24日 (土)

本173:百代の過客<続>(ドナルド・キーン)

2年前に「百代の過客」を読んだ記事を掲載した。その続編を読もうとしたのだが、ながらく積ン読のままになっていた。先日やっと読了。

正編は、「入唐求法巡礼行記(円仁)」から「下田日記(川路聖謨)」まで約千年にわたる、日本人の書いた日記78篇。続編は、「遣米使日記(村垣淡路守)」から「新帰朝者日記(永井荷風)」まで、50年間32編。日本も急激な近代化を迎えて、日記の数量、内容とも一気に膨張した時代である。

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文庫本はさらに分厚くなって、784ページ。その一編づつの日記と前後の時代資料を読み込んだ学殖には、やはり圧倒される。

後書きでキーン氏は、幕末からごく最近までの代表的な日記を網羅したかったが、その膨大さのために、一応、明治末で筆を擱いたと述べている。できることなら、大正・戦前・戦中・戦後を俯瞰できるような、続々編を読みたいものだが、もう残された時間は無いだろうなあ。

さて、酔仙自身は日記を残したくはないのだが、いつ焼却したものか。

”焼き捨てて日記の灰のこれだけか” (山頭火)

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2016年8月20日 (土)

本172:日本の歴史をよみなおす(網野善彦)

暑さのために家でゴロ寝ばかりもしておられない。以前に買ったが積ン読のままだった、「日本の歴史をよみなおす」(網野善彦)を読了。

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観念的な左派史観ではなく、個々の具体的なケースに密着した分析に説得力がある。

律令制以来の農本主義、文書主義、建前論に毒されていると、目の前の歴史が見えなくなる。歴史が見えないと、現在も見えなくなる。

本書の中で2ヶ所、天皇制の将来への言及がある。

(↓クリックして読めます)

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酔仙は、「基本的人権も認められない、気の毒な皇族の人々を、人間らしい生活に解放する」ために、天皇制廃止を主張しているのだが、こういう大きな社会的変革の流れの中で天皇制の将来を把握する見方にも賛同するのは勿論である。

さりながら、この書の最初の刊行が1991年、1996年。著者が2004年に亡くなって既に12年。この国は今や、AB政権や〇本会議、籾HKなどの逆コースの真っ最中となってしまっている。社会変革の大きな流れの中での、一時的な揺り返しなのか、それともこのまま再び亡国の道に進むのか。

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2016年7月30日 (土)

本171:古代学の発展的継承をめざして(上田正昭)

角川の冊子「本の旅人」7-8月号に、今年3月逝去された上田正昭先生の遺稿、「古代学の発展的継承をめざして」が掲載された。

(↓クリックして拡大)

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最後まで古代学を追求し続け、後進の学徒に期待された先生の息遣いが伝わってくる。20数ページほどなので、閲読ご希望の方があれば、ご連絡を。

天皇制廃止が成って、先生の悲願だった伝天皇陵古墳の発掘が実現すれば、日本の古代学も革命的に発展するのだろうがなあ。

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