2016年4月29日 (金)

巡063:おへんろ拾遺

例によって、書き漏れた路上ネタなどを拾ってみた。

4月5日。宿毛の一つ手前の東宿毛駅。前回泊まった米谷旅館の前に、早稲田大学ゆかりの小野梓記念公園があったが、駅の名前にも早稲田・梓駅の愛称が付けられていた。

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4月6日。松尾峠を下って一本松の町で、道のわきに石碑を見かけた。卒塔婆の板に、『為 まんのやお長霊位二百回忌追善』とあるので、地元ではそれなりのいわれがあるのだろうが、ググってみても不詳。

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4月7日。四国を廻る間に、廃屋となった家をけっこう見かける。いただいた地元中学生作成の柏坂越え地図にも、「空き家Ⅰ、空き家Ⅱ」などと表示されている。

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4月8日。宇和島の馬目木大師の近くに、佐伯橋という小さな橋がある。禁止令が出る直前、明治4年の最後の『無礼打ち』の現場であると。

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4月9日。宇和島城の天守そばのトイレに入った。仮設トイレのような外観だが、中は「バイオラックス」という、オガクズをかきまぜながら大小便を分解する設備だという。

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4月10日。明石寺の山門で。札所のお寺は比較的潤っているかとは思うが、それでも寺を維持するには、営業努力も必須。巡拝ツアーの募集に、永代供養塔は宗旨宗派を問わず、と。

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4月11日。内子の町を歩いていると、いろいろな説明板、解説板がある。これは、「内子の三もぐり」についての内子町教育委員会の説明板。潜水艦乗り、飛行機乗りに金鉱技師か。

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4月12日。鴇田峠への道に、お遍路通行止め、の看板。向こうから来たお遍路のオジサンが、「逆打ちで来たが、問題なく通れます。撤去するよう役所に電話したが埒が明かない。」と、自分で、看板の上に、『通れます』と書き加えていた。

NHKの報道は公式発表通りに、と言った、籾井某に似たような根性の役人が、ここかしこにはびこりすぎているなあ。

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4月13日。大寶寺から河合に下りて、一軒だけ遍路宿の看板を残している家。「蜂印香竄葡萄酒(ハチジルシコーザンワイン)」の古いホーローの広告看板がかかっていた。

帰ってからググってみたら、かの神谷バーの創業者神谷傳兵衛が明治14年に売り出したものだという。へぇ~。

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4月14日。三坂峠の手前の道路脇に砕石工場があって、そのダンプ出入り口の表示板に何か違和感が。入り口から敷地内に向かって、左←右へと書いたのだろうが、"THANK YOU"まではやりすぎ。(笑  反対側は普通に書かれていた。

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4月15日。49番浄土寺のすぐ先、日尾八幡神社。この地方の神社では、入り口に二本の石柱の門を構えて、各二文字づつの四文字熟語を彫るものが多い。これは、「鳥舞魚躍」。他にも、「高山景行」、「徳馨岩蘭」等々、書く人は頭を捻ったんだろうなあ。

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4月16日。一草庵の手前の護国神社。石鳥居の裏側の銘は。

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帰ってからググったら、これは今の富国生命の前身の保険会社。「徴兵保険」というのは、息子を兵隊にとられる補償、というのではなく、徴兵検査で甲種合格したら保険金を受け取って、それを学資に下士官として勉学し、出世をはかるのだという。酔仙は寡聞にして知らなかったなぁ。日本でまた復活するのかしらねぇ。

4月17日。観音寺駅からすこし行ったあたりで、海上に小さな島と、橋、鳥居、神社が見えたが、すぐに通り過ぎてしまった。景色の良さそうな所なので、次々回にでも歩きの途中で立ち寄れたらうれしい。

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5/17 追記。グーグルの地図でたどってみたらすぐ見つかった。津嶋神社というが、へんろ道からは少し離れているようだ。しかも、この橋や、JR津島ノ宮駅は、年に2日間、夏季大祭の時だけしか開かれない、とのことである。yoneさん好みのお祭りだろうなあ。

さて、これで今回の歩きお遍路の記事掲載も完了。またこれからもよろしくお付き合いのほどお願い申し上げます。

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2016年4月28日 (木)

巡062:やっと帰宅

4月17日。昨夜は風雨がかなり荒れたそうだが、ぐっすり寝ていて気づかず、朝には晴れた空に風ばかりが吹いている。

40番観自在寺から53番円明寺までを11日間の歩きで打ち終わって、今日は帰宅するだけ。JR松山駅で乗換えナビ検索してもらったら、7:59伊予和気駅発、伊予北条、岡山乗換えで、15:40には東京駅に着く。往きは宿毛まで11時間かかったが、さすがに帰りは9時間足らずで楽勝、と思っていた。

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伊予北条で、しおかぜ10号に乗り換えて、のんびりと、あんぱんまん列車などを見ていたら、車内放送で、”昨夜の風雨のため、予讃線のレール、架線点検で遅れます”とのこと。

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途中までは割に順調だったが、新居浜で小一時間ほど停車。愛媛大でワンゲル部をやっているという、乗り合わせた学生さんと話しなどして時間をつぶす。

やっと動き出したが、海沿いの景色を眺めているうちに、今度は、”行く先を岡山から高松に変更したので、本州へのお客様は坂出でマリンライナーにお乗り換えください。”との放送。

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坂出でマリンライナーに乗り換えたら、今度は、”瀬戸大橋上の強風のため、出発を見合わせ中”、で、また待つこと1時間。やっと風が弱まって、瀬戸内海を渡ることが出来た。

新大阪でひかり号に乗り換えて、東京駅に着いたのは5時過ぎと、約2時間の遅れ。予定外で、列車に乗り疲れたが、まずは無事に帰宅。久しぶりに家の布団でゆっくりと休んだ。

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巡061:一草庵と53番円明寺、52番太山寺

4月16日。宿の朝食は略して、6時半頃発つ。道後温泉本館の前は、浴衣姿の朝湯の客が行き交う。きれいな用水路沿いの道を、護国神社から一草庵へ。

酔仙の好きな自由律の俳人種田山頭火の終焉の地である。平屋の小さな家だがきれいに修復され、回りもきれいに整備されている。

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呑んだくれの独り者老人の終の住家としては十分だったのでは。この部屋で若い人たちと句を交わし、ぽっくりと大往生したのか。

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196号線は車の通りが多いが、用水路を挟んだ通りが人と自転車の道なので、自転車通学の生徒たちと行き会いながら、ゆっくりと歩けるのがうれしい。

室岡山蓮華寺は、樹木の繁った小山一つが境内。門脇には、古墳の石棺の底が展示されている。番外なので、他の人の姿は無く、ご住職達から丁寧にご朱印を頂いて、お接待の飴もいただく。

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高音寺で一休み。鬼子母神のお堂や、石仏、カラオケ狸など、広くはない境内に、色々のものが並んでいて面白い。

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52番太山寺を先に目指していたのだが、道標を見失って、道を尋ねてもよくわからない。おおよその見当で歩いて行ったら、伊予和気駅近くの、53番円明寺の方に出てしまった。取りあえず駅前の民宿上松に重い荷を預けて、円明寺から先に参拝する。団体でのお遍路さんが多く、駐車場でおばあさんからお接待のパン、ジュースをいただく。

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結果的には、ここで切りあげて、松山駅で切符を買って帰宅するのだから、列車で松山まで引き返して宿を探す方が正解だったのかな。

昨日からの右足脛の痛みが続くので、少し足を曳きながら、最後の52番太山寺へは、まっすぐ2キロの車道を往復。一ノ門から先がけっこう登り坂、石段で距離がある。

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国宝の鎌倉時代の本堂は、さすがにその大きさと屋根の反りが調和していて見ごたえがある。

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スリーボンド創業者、鵜久森税氏の奉納碑があちこちに見られたが、出身地と関係するのだろうか?

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さて、JR伊予和気駅まで戻って昼食。当初予定を越えて53番まで打ち終わったし、足も痛いので、今回はここで区切り打ち終了と決める。帰りの切符を買わなければいけないのだが、伊予和気駅は、建物はちょっとしゃれているのだが、みどりの窓口どころか、既に無人化している。

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なので、午後は松山駅まで二駅を往復し、ついでに市内見物もする。

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JRの松山駅とは離れて、伊予鉄の松山市駅があって、ここの駅前から「銀天街」のアーケード。

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L字型に、大街道アーケードにつながっていて、買い物客などで賑わっている。並んでいるお店も、都会風。これはからくり時計。

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街も十分見たし、お土産も買ったので、また引き返して、民宿上松でゆっくり、夕食とお風呂。明日は帰途につく準備もできた。

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2016年4月27日 (水)

巡060:48~51番から道後温泉、松山城へ(その2)

4月15日後半。51番石手寺の参拝を終わって、寺の前のきれいな水の流れる用水路沿いに道後温泉へと向かう。柳の街路樹と石の句碑が続く。

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途中の義安寺は姫達磨発祥の寺とか。

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道後温泉に到着。足湯の像は、温泉本館の像を模したもの。

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伊予鉄の道後温泉駅は終着駅なので、普通の路面電車の他に、蒸気機関車を模した坊っちゃん列車も出入りしている。

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観光客で賑わう商店街を、L字型に曲がって抜けた正面が、あの道後温泉本館の独特の建物。

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脇に廻ると、いっそう独自性に満ちた構造である。

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4段階の料金と、皇室用浴室の観覧料、とが掲示されている。

(↓クリックして読めます)

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今日の宿は、本館周辺に大型ビルの温泉旅館・ホテルが林立しているそのすぐ脇。大正9年築の旅館常磐荘。数歩の距離のギャップが面白い。内部はリニューアル済みできれいである。

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宿にリュック、杖、笠、白衣を預けて、山野袋だけの身軽になり、まずは道後温泉本館で入浴。一階は、基本的に銭湯を大きくしたもので、大きな浴槽と広い脱衣場。お湯は透明で癖がないが、よく温まる。二階は大広間で、浴衣と茶、菓子がついてゆっくりできる。酔仙も二階でくつろいで、欄干から外の道路を行き交う観光客などを眺めて、坊っちゃん気分にひたる。なるほど、落語で、湯屋の二階に若い者がたむろして娘さんを冷かして、というのは、こういうことかと納得。ビールが無いのは残念だが、冷えた牛乳瓶で昔懐かしの気分。

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陽のあるうちに松山城も見てしまおうと、電車で大街道電停下車。城山はけっこう標高があるので、リフトで一気に登る。

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思いのほか大きな構えの本丸、天守で、建物も復元棟を含めてきれいにそろって保存されている。現存12城のうち、三本の指には入りそうだ。

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天守へは旧の穴倉から入る。天守単独ではなく、小天守や櫓とロの字型に組まれていて、内部をぐるりと回れるところが珍しい。

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やはり、木造の柱や梁というのは、気分が落ち着くものである。

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最上階からは、松山の町と海山を四方に眺め渡して気持ちが良い。

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5時の閉場までにほぼ見て回ることが出来て良かった。帰りはロープウェイで下城。

宿に戻って6時の夕食。部屋の窓から顔を出すと、すぐ眼の先に本館が見える。

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料理は部屋で順々に供され、ゆっくりお話などしながら、腹9分目、おいしくいただいた。

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洗濯は宿にないので、近くのゲストハウスのランドリーを借りる。いっしょに洗濯中のヤクルトファンの若い人と話などしながら時間をつぶす。

宿に帰って、内湯でもう一風呂浴びる。本館と同じ、透明でゆっくりしたお湯である。

参拝と観光とで歩き回ったが、充実した一日だった。疲れがたまったか、右足の脛の肉が痛むのが気になるが。

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巡059:48~51番から道後温泉、松山城へ(その1)

4月15日の前半。長珍屋を発ち、浄瑠璃寺、八坂寺の門前で合掌をしてから、歩を進める。貯水池の脇の道を通って諏訪神社がある。大正2年8月奉納の、赤穂義士討入図や歌舞伎絵の絵馬が並ぶ。

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文殊院。ここにもお四国の猫がドテッと。

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札始大師堂にも参拝。

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川幅の広い重信川を渡ると、この辺りはもう松山市の郊外の感じ。けっこう歩いて、48番西林寺。参拝と納経。

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49番浄土寺。仁王像をくぐり参拝。

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50番繁多寺。小高い境内から、足元の貯水池越しに松山の市街を気持ちよく眺める。

(↓クリックしてパノラマ写真)

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納経所の前には桜の見事な古木があって、桜の花びらが吹き溜まってくる。団体ツアー参拝の方は、納経を添乗員さんまかせだから、この景色は見ていない。

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さて、51番石手寺。ちょっと他の寺とは異質な雰囲気が満ちているので、少し詳しく紹介を。

入口の用水路の脇には、インド仏のレプリカや、見上げるような白龍観音の像が。

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参道は立派な屋根つきの歩廊で、両側に土産物店もあるが、ちょっと寂れ気味。広い境内は、諸堂伽藍やさまざまのユニークな仏像などで埋め尽くされている。

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門前には、「集団的自衛権不用、不殺生祈りの会」の立て看板。境内の立派な三重塔には、「東日本大震災鎮魂、祈回復、祈原発守護」、その他幾つもの祈願札が立てられている。

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圧巻は、やはりこの「八十八霊場都卒天洞」。裸電球を頼りに途中の仏像などを見ながら長々とまっすぐな洞窟をたどると山向こうの車道に出てしまい、また引き返す。

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途中の別れ道もあったが、そこまで入る元気は残っていなかった。宝物館には、いろいろのお宝が雑然と。ともあれ、濃~い感覚に満ちた、酔仙好みのお寺である。

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かの、珍寺大道場HPにも、二回にわたって紹介されていたのも、むべなるかな。今回、酔仙はこの裏石手寺の半分も廻れなかったのが残念である。再訪の機会があれば、ぜひすべてを廻りきりたいものだ。

ところで、ここの「札始め」の由来である、伝説の衛門三郎だが、しつこい乞食坊主を手荒くぶっ叩いただけで、報復に子供八人を呪い殺されて云々、というのは、客観的に見て、いくらお大師さんでもやりすぎだろうなぁ。昔の人の感覚ではどうなんだろうか。

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ちょっと長くなるので、一服して、今日の後半は次編へ。

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巡058:46番浄瑠璃寺と47番八坂寺

4月14日。和佐路を7時前に発ち、朝霧の中、近道の峠御堂(とのみどう)トンネルを抜けて久万町に戻る。歩車道の区分の無い危ないトンネルなので、ヘッドランプが頼り。

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町に出ると、於久万大師。

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町中を外れると、33号線沿いにゆっくりとした上り道。あまり峠らしくないだらだらの道で、山道に入るとすぐ標高720mの旧三坂峠の説明板など。前後はすっかり霧の中。やはりここは高原である。

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ここから後しばらくは、急なジグザグの下り道。下るにつれて霧もはれ、春らしい陽射しとなる。一ノ王子社跡の休憩所からは、ふたたび車道に。逆打ちのお遍路にはきつい道だろう。

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山あいの段々畑、棚田(放棄地も多い)や人家が続く。坂本屋は復元された遍路宿とのことだが、戸は閉められていた。

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途中でおむすびの昼食。

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網掛け大師のお堂の前には、名前のいわれの網掛け石が。たしかに、全面に網目模様が。石の節理か、化石なのか?

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途中、八幡神社の幟とともに、地元の人がお接待のテントを張っていて、お茶、お菓子などありがたくいただく。酉印をひとつお礼に。

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2時過ぎ、46番浄瑠璃寺の門前に到着。今日の宿の長珍屋は道向かいのビル。まずは参拝、納経。

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境内は樹木の緑が濃くて落ち着いている。樹齢千年の大木も。

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1kmほど先の47番八坂寺へも、今日のうちに往復しておく。入り口は、橋と廊下と門と休憩所を兼ねたようで、天井に極彩色の天人奏楽来迎図。境内にはやたら猫が多い。チャ、クロ、シロ、ここは猫寺かしら。四国の猫はどこでものんびりしていて、人間をまったく気にかけない。だいたい、走っている猫を見たことがない。

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御本尊が無量寿仏で、境内には「地獄極楽の途」などもあるが、お寺は真言宗とのこと。

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長珍屋まで戻ってチェックイン。新旧の棟にエレベーターが5階まである、団体のお遍路さんが主の宿。

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食事は大広間で、10人ばかり。一昨年亡くなった創業者の女将が信心深かったとかで、大きな床の間には色々なお軸などが掛けられている。なかでも、弁財天と十六童子図は、けっこう由緒ありそうで、何でも鑑定団にでも出品できそうだ。

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今日も腰痛は出たり緩んだりだが、明日は道後温泉の湯で癒したいものだ。

・春描の声聞いて 今日もへんろ道

・峠こえれば陽も射して 遍照金剛

・へんろ道の岐れで おむすびを広げる

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2016年4月26日 (火)

巡057:44番大寶寺から45番岩屋寺へ

4月13日。久万高原町のホテルを出て、コンビニで昼の俵むすび弁当を買い。旧久万町の古い町通りを抜けて、ひな祭りのイベントで飾られたお雛様を見る。

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鯉のぼりが泳ぐ川の橋を渡ると総門。

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坂の車道を上って行って、石段の上が44番大寶寺。境内には遅い桜の花も。まずは参拝と納経を。これで、44/88までクリヤ。

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ここから45番岩屋寺までを往復するのだが、今日の宿が未定。門前のおもご旅館も寺の宿坊も休業中と。ともあれ、寺の前から、山の中のへんろ道をたどる。小さな峠を下ると河合の村。昔は15軒の遍路宿で賑わった、とあるが、かろうじて一軒が看板を残すばかり。

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河合の少し先で、芝桜のきれいな民宿佐和路(さわじ)に今日の宿をとれた。重い荷物を預けたので、腰肩がかなり楽になった。

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車道を離れてまた山道。八丁坂入口の分岐から、急なジグザグの坂道を半時間弱。南無遍照金剛の大きな石碑のある茶屋跡で一服。ここからは尾根伝いの緩い道となる。

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一時頃、やっと寺に着く。本来はこちらが表参道なのだが、今は裏側から入っていく感じ。まず三十六童子の石像が次々に現れ、逼割(せりわり)の行場の前に出る。大岩壁がすっぱりと断ち割られ、門の奥には白山大権現の宮の柵がちらりとのぞく。脇の大きな不動像が小さく見える奇観である。今までに見た割れ石の霊場の中では最大級。ここもやはり古代の磐座信仰を偲ばせる、神仏習合の地。

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本堂、大師堂に参拝し、一息ついて昼食。バスで参拝の団体客でにぎやかである。伽藍の背後はすべて切り立った岩壁、岩塔で、無数の穴がぼこぼこ開いている。さすがに岩屋寺の名の通りである。ほとんど真っ暗な洞窟の中にも参拝。

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長い石段をバス停まで下って、車道を打ちもどる。国民宿舎古岩屋荘のあたりにも、やはり岩壁、岩塔が林立する。

(↓クリックして拡大)

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3時半、民宿和佐路に戻りつく。これぐらい余裕があると、入浴、洗濯、日記つけ。同宿二人だけののオジサンと夕食をいただきながらゆっくりのお話なども。ビールが美味い。

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2016年4月23日 (土)

巡056:鴇田峠を越えて久万高原町へ

4月12日。酉印をT山さんとご主人に差し上げて、来楽苦の宿を発つ。すぐに突合の分岐。右に行けば農祖(のうそ)峠越え、左に行けば鴇田(ひわだ)峠越えの道。「鴇田峠の道は、崩落で通行止め、の表示が出ているが、役人の責任回避なだけで、普通に通れるよ」ということなので、左に向かう。

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T山さんと、抜いたり抜かれたりしながら歩く。上田渡のきれいな薬師堂で一休み。

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臼杵の三嶋神社。山あいの道が続く。

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42号線を山道でショートカットして、下坂場峠でまた合流。ここで、来楽苦のご主人から頂いたおにぎりで昼食。途中に人家はあっても、お店は全く無かったので助かった。

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一度下って、森田の村からまた上り。鴇田峠へは通行止めの看板が。

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実際には、この程度の崩落個所だけだった。雨さえ降っていなければ、通行には全く問題なし。

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途中、由良野の森というのか、切り開かれた斜面に、牧場やバンガロー風の建物などが。リゾート地としての開発を狙ったものだろうか。

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伐採地や杉林などを抜け、お大師さまのだんじり岩などもある。やっと鴇田峠。嘉永年銘の石碑もあり、かっては往来で賑わったのだろう。

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峠を少し下ればすぐに久万(くま)高原町。低い山に囲まれた盆地の町である。平地よりはかなり寒く、昨朝も遅霜がおりたのだという。

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今日の宿は、”プチホテル”ガーデンタイム。

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味わいの薄いビジネスホテルかなと思ったが、大きな浴場もあった。話し好きの若奥さんや、「観自在寺でお会いしましたね」というお遍路さんと、話が弾み、鍋焼きうどん付きの食事もたっぷりで、カウンターでの楽しい夕食だった。

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2016年4月22日 (金)

巡055:内子から大瀬へ

4月11日。宿を発って、国道沿いにずっと行く。黒内坊からは、山あいの道を抜けて内子の町へ。登校途中の子供たちが元気。

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内子運動公園を経て、思案堂の御堂の前の花がきれい。

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内子の町に下って、現役の芝居小屋である、内子座を外から見る。昔と今がつながる雰囲気。もう少し時間があれば、小屋の中も見ておけばよかった。

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内子六日市には古い商店、建物がきれいに保存されて、街並みが続いている。

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内子の町を出ると小田川沿いに、山あいと人家とを抜けながら延々と歩き続ける。腰痛がちょっと不調。大瀬の村の休憩所二ヶ所は、昔ながらの辻堂を模したものか。途中の梨園はちょうど花盛り。

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長岡山トンネルを抜けたところに、珍しく、お遍路無料宿が。野宿のお遍路は嫌われるのだが、ゆったりと畳に布団も備えられている。貼り紙などを読むと、〇長の家の信者のおばあちゃんの提供らしい。ありがたく、昼食を兼ねてゆっくり休ませていただく。

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途中に曽我十郎の首塚云々の標識。曽我十郎神社の祭りの写真を掲げた休憩所も。なぜ四国に曽我十郎か?不詳。

3時半、民宿「来楽苦」に到着。”ライラック”ではなく、”きらく”だった。(笑

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気さくで話し好きなご主人。隣りの自家製豆腐とお酒の店を息子さんに任せている、とのことで、夕食は豆腐料理。

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「今晩は村の寄合いで出かけるから、勝手に食べて飲んで、飲んだ分は明朝自己申告してね」と。同宿のT山さんといっしょに、お酒も進み、楽しい一夜。

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はて最後のあたりはちょっと記憶が無いのだが、なんとか無事に寝込んだようだ。

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巡054:43番明石寺から鳥坂を越えて、大洲へ

4月10日。宿のご主人、奥さんと握手して発つ。2kmほど歩いて足腰が慣れてきたころ、43番明石寺。そう大きな構えではないが落ち着いた境内。

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参拝を済ませ、裏山を少し越えると卯之町へ。旧街道の通りやお店がていねいに保存されているが、寂れてしまっているのはしかたがない。途中で道を尋ねたオジサンに、歩きながらいろいろ説明を聴かせていただいた。

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山あいの村をたどりながら鳥坂トンネルへ。

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ここも古いトンネルなので歩車道の区別はなく、入り口には反射テープたすきの貸出ボックスが。さらに自前のヘッドランプも点けて、1.1kmを通り抜ける。たすきボックスのご意見ノートにも書いたが、トンネル両側の歩道をペンキ塗りするよりも、歩道を片側にまとめて、一段高くして柵をする方がよほど合理的だと思うのだが。小役人達は現実を見ていないのだろうかなぁ。(>_<)

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トンネルを抜けると、山がぐっと開けて、大洲の町まで延々と下り坂が続く。派手なラーメンショップなどが並ぶ一角で遅い2時ごろの昼食弁当。

やっと大洲の市内に入って、肱川がぐっと広がり、きれいな河原のあたりの眺めがとても良い。亀山公園臥龍ヶ渕と。左岸の側には、古いがすっかり寂れた感じの町通り。右岸へ渡る橋の上から、川に張り出した小山の上の、かわいい大洲城を眺める。

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56号線沿いには色々の大型店舗が途切れずに続く。ほんの少し前には、田んぼの中の国道だったのだろうなあ。

 番外、十夜ヶ橋の寺は国道脇、松山自動車道の高架の直ぐ下。5時前で間に合ってご朱印もいただけた。小さな橋の欄干には、ホームレス空海さんのデザインが。

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今日の宿は、その先、「旅館うめたこ」に5時過ぎに到着。道路正面の店から、さらに数百メートル先の宿泊棟に案内される。2階建ての大きな棟が二棟。ベッドに二人用の大きな部屋。昔はお遍路さんの団体などでにぎわったのだろうか。風呂は広くて気持ちよいが。

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   ・鳥の死骸踏みそうになって ナマンダブ

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