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2013年10月14日 (月)

雑372:寺山修司

今日の朝日新聞をみていたら、寺山修司の記事が出ていた。酔仙の好きな、『マッチ擦るつかのま・・・』の歌は、他の詩歌からの本歌取りの作だという。ほほう、初めて知ったが、でもやはり修司の下の句のほうが扇動的で、先行作とは別物の、良い歌になっていると思う。

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享年47歳、没後30年。錬金術師の言葉をちょっと読みたくなった。

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コメント

 短歌の世界では、塚本邦雄(師と同じ滋賀出身)、岡井隆、寺山修司が前衛短歌運動の旗手といわれています。そのうち、寺山修司が一番、胡散臭いのですが、文学者としては断然本物です。彼の短歌は、俳句の剽窃、盗作といわれて大変な非難を浴びましたが、それは俳句界のほとんど嫉妬のようなもの。何しろ、高校生ぐらいで短歌の文体が完成されています。このような濃密な雰囲気、個性をもった短詩型の詩人はおりません。天才です。

投稿: yoneda | 2013年10月14日 (月) 17時01分

記事中には、模倣・参照・作り替え・下敷き、
などと表現されていますが、これは伝統文学に
いうところの『本歌取り』とするのが正しいです。

この「マッチ擦る」の場合も、本歌を足して
3で割ったよりも、ずっと衝撃的な出来あがりで
特に本歌の"祖国"の扱いを憧憬から離背へ一気に
ひっくり返すという、見事な技を見せています。
我々70年紛争を経た団塊世代にとっては、実に
扇動的な魅力を感じさせます。

投稿: 埼玉の酔仙 | 2013年10月14日 (月) 18時08分

 本歌取りは基本的に、誰もが知っているだろう元歌を借りて、別のモチーフの歌に作りかえるパロディです。定家の本歌取りの名作「駒とめて袖うちはらふ陰もなし」も、当時のほとんどの人は万葉集の元歌「苦しくも降り来る雨か」を知っていて高い評価をしたそうです。もうひとつ、元歌の魅力を改めて引き出す、引き立てる、という条件も必要。
 特に後者の点で、寺山修司は元歌である俳句を引き立てるどころか、魅力を減退させるようなすばらしい作品を作りましたので、俳句の人等は怒ったのです。
 
 
 

投稿: yoneda | 2013年10月14日 (月) 19時54分

たしかに、『本歌取り』は、本歌が広く人々に
知られていることと、本歌の延長上に展開される
ということが条件ですから、修司の場合はちょっと
本歌取りの定義からははずれますね。
前言訂正します。

元歌を背負い投げにして、それを踏んづけた上に
新しいモチーフを解体的、扇動的、扇情的に展開
する、というのは、どう呼べばいいでしょうか。

投稿: 埼玉の酔仙 | 2013年10月14日 (月) 22時22分

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